2005/10月号分の追加  2006.4.5


京都教区中学生広島平和巡礼感想文 2005年度 
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2005年度中学生広島平和巡礼感想文  2005/10月号の追加分

●一年生の感想●
  
正岡 望世
 僕は西院教会からの参加が一人で友達がいなく、巡礼も初めてだったので最初はビクビクしていた。もともとこの合宿に来た理由は、大人とか中人は簡単に「平和やな〜」とか言うけれど、平和というものは一体何なんだろうと僕は思ったからだ。あと言うのは恥ずかしいが僕自身の生活が平和ではないからだ。

 最初はビクビクしていたものの、資料館を見回っているとき、皆がしゃべりかけてくれたので友達になり、一緒に見回った。資料館の展示はとても衝撃的でとても見れなかった。でもせっかくここまで来たのだからと思い、がまんして見た。夜にある分かち合いは、最初はいやだったけど時間がたつにつれて大切な事だと分かってきた。

 二日目、被爆者証言を聞いた時、道ばたでお弁当を食べてたとか兵が歌を歌っていたと聞いて「え〜そうなん、大変じゃなかったんや」と思っていた。でも、被爆して皮膚がたれさがったと聞き体がぞっとしました。
平和公園では折り鶴を捧げました。原爆ドームを見て泣いている人もいました。平和祈願ミサを行った場所の教会はとてもでかくてビックリしました。

 最終日朝からミサがありました。そこで僕は眠くて眠くて仕方ありませんでした。
やっぱり一番思う事は、話を聞いても当時の雰囲気や様子はあまり実感がわかなかった。でも、自分がわかりたいと思っている事が分かったので良かったです。僕が大人になっても戦争は絶対に起こさせないようにして、僕たちの子供にも戦争を起こさせないようにさせて、平和な世界にしていきたいです。二度と同じあやまちを繰り返さないように…


田口 憲太
 僕は広島原爆資料館に行って原子爆弾の怖さを知りました。落とされた原子爆弾は「リトルボーイ」長さ3メートル、重さ4トン、地上から約25メートル上空で爆発し、約20万人もの命を奪ったと知り、むごいと思いました。資料館を見ていく中で、今の現実ではありえないと思いました。分かち合いでみんなの意見を聞いても、僕は現実ではありえないとずっと思っていました。むずかしい話だったからよく分かっていません。僕は来年もまた広島に行くはずだから、その時は今は理解していない事を頑張って理解していきたいと思います。


諸 ハニノル 「平和について考えた事」
 この二泊三日間、原爆資料館などに行って、原爆の恐ろしさを自分の目で見ました。とても見ていて胸がいたみました。なぜ、政府が起こした戦争に、無関係の人達までまきこまれ、苦しい思いで生死の境をさまよわなければいけないのかと見ていて思いました。

 そして、二日間の中で『分かち合い』を通して、見てきたことや自分の思いを言い合いました。みんな一人一人思った事が違っていて自分が気づいていない事なども言っていたので、改めていろんな事に気づけてとても良かったです。この話し合いの中で、藤原さん(リーダー)が「戦争が無いから平和という事ではない」という説を話してくれ、日本は戦争は無いけど決して平和だとは言いきれない事に気づけました。殺人、暴力などまだ心配・不安があります。私は戦争だけでなく『憎しみ』が、今までの平和を奪ったと思います。だから、『憎しみ』がなく、皆が気持ち良く一日一日を「嫌だ」とは思わずに「幸せ、良かった」と思える平和な日が、一日でも早く訪れて欲しいと私は思います。そのためには他人との関係が大切だと考えました。人の気持ちを考えてこそ『憎しみ』はなくなるんだと思いました。

 私は、この広島平和巡礼に来て命の尊さや平和について考えられてとても良かったと思います。


寺田 瑛
 僕がこの広島平和巡礼一回目で、広島に来たのは2回目だけど、初めてきたときと今回来たのとは理解とか考え方だとかが考えてみたらだいぶ違いました。特に原爆資料館を見学して思ったことが前来たときと違いました。前に来たときは修学旅行だったから修学旅行気分で見ていたからで今回は広島平和巡礼だからその気分で原爆資料館を見ていたからかもしれません。考えや思ったことで変わったのが被爆前と被爆後という模型です。前は「普通の町がこんなことになったんか」としか思っていなかったのに今では原爆の恐ろしさや原爆で被爆したときのひどさとかが一気に伝わってきました。他には黒い雨や爆風の大きさ、煙がきつかったとかいろんなことが思い浮かんできて伝わってきました。被爆を受けて病気になった人の皮膚を切ったものとか原爆が落とされたときの人の人形とかでそのときの人の思いや原爆の怖さのことがいっぱい伝わってきました。あと史跡めぐりでも原爆が落とされたときのことがリアルっぽく思いが伝わってきました。この碑とかを作るとか考えた人たちの思いが伝わってきました。この平和巡礼参加してよかったです。


松浦 歌織
 私が広島駅を出て最初に思ったことは「本当にここに原爆が落ちたのだろうか。」でした。確かに60年経っているのだから、ビルがいっぱい建って自動車やバイクが通る道路ができるのは当たり前です。ただそれは原爆だけでなく戦争を体験した人が本当にいなくなり本当にその恐ろしさを伝えられなくなってしまうことにもなります。60年という時間は人の一生にとっては少し長すぎるのかもしれません。当時10歳だった人は70歳に、20歳だった人は80歳になってしまうのですから。

 原爆ドームは思ったより小さかったです。壁が壊れ床が無いこのドームの元の姿を想像すると、原爆はこの建物には真上から爆風が当たったとはいえこんなにも破壊してしまうものなのだと改めて思いました。そのことは資料館の原爆投下前とあとの模型を見てもわかりました。すべてが倒され、わずかに残ったのは原爆ドームと、爆心地から少しはなれたところにある学校の校舎らしきもの、あと小さな家だけでした。その中をあの人形の様子で逃げ惑っているのかと思うと怖くなりました。

 あと二日目の史跡めぐりで見た「原爆犠牲国民学校教師と子供の碑」の像の裏側に刻んであった碑文が忘れられません。「大き骨は先生ならむ。その周りに小さき頭の骨集まれり」と言う文です。何故かわからないけどその文が心に残りました。

 戦争の被害は原爆だけではないけど原爆、戦争の怖さがわかりました。二度とこんなことが起きないように平和を守っていきたいです。


森崎 樹生
 自分は、この合宿に参加するのは初めてで同じ教会の人は一人もいなくて、いろんな心配事がありました。
 原爆資料館では色んな資料があって、模型や絵、文章、遺品等沢山ありました。焼けた服、割れたガラスの破片が刺さった物品、被爆した人の写真、本当にみるのが嫌でした。それでも見て学んで後世に伝えなければならないと思いました。六十年前広島に原爆がアメリカによって投下され、十数万人の命が一瞬にして奪われました。それの詳細を聞いたり見たりして、もう、こういうことを二度としては、いけない。これから一回も起こさないように、小さなことでも止められるようにしょう。そう思いました。

 原爆をおとされた広島の人の話しを聞いている時に、ちょっとでも、取り入れよう。ちゃんと話を聞こう。そう思いながら話を聞いていました。その内容は資料館で見た物よりも詳しく、リアルだった。
平和行進では、足は痛かったりしたけど、音楽が嫌いな自分でも面白かった。

 広島平和巡礼を通して、自分の原爆の知識を高められて、被害者の思いも聞けて、良い体験ができた。こんな思いを今するんだったらもっと早くから来ればよかったと今になって後悔した。


小林 まなつ
 3日間の広島平和巡礼で私はいろいろ学べたと思います。
資料館では、原爆のひどさがわかりました。たった1つの原爆で多くの人がそのしゅんかんに亡くなって、1,2年とかたったあとでも、原爆が原因で亡くなっている人もいるので、ほんとにひどいことだと思いました。
この巡礼で資料館へ行ったり碑を見てたりしてると『平和』というのをもう1度、考えました。

 分かち合いでのりーダーの話で「大切な人が明日もとなりにいる」という話で、私も、平和とは、そうだと思いました。

 戦争のときは、いつ、どこで、だれが死ぬかわからないじょうたいだけど、今は、戦争してたときみたいにすぐ死ぬってことはないので、それは平和だと思います。

 友達とわかれるときとかに、“また明日。”とか言ってわかれていくけど、戦争のとき、そんなことは言えなかったと思います。私たちはとても平和な時代にいるので、そのことに感謝しなければいけないと思います。今、これがふつうと思っている人もいると思います。そういう人に原爆のことをしってほしいと思いました。

原爆は世界の中でヒロシマ、ナガサキしかおちていないので外国の人はあまり原爆のことを知らないと思います。
 今、かくへいき実験とかがあるので、爆弾のこわさを原爆をうけた日本人がおしえるべきだと思います。ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキとあるけど、ヒロシマ、ナガサキにくりかえさないだけじゃなくて、世界中のどの国にも爆弾がいつまでもおちない、平和な世界になったらいいと思いました。



●二年生の感想●

橋本 仁子
 私は、今回戦後60年でもあるし、初めてなのでこの平和巡礼に参加しました。私は、小学校のときも「はだしのゲン」や原爆の写真集などを見て、原爆の恐ろしさは大体わかっているつもりでした。ですが、今回この巡礼に参加し、広島について、原爆資料館を見学に行ったとき、置いてあるすべてのものに対して目をふせざるを得ないような状態になってしまったのです。今までに写真集などを見ていて怖いなぁとかかわいそうやなぁとか気持ちわるいわとか友達と言いながら写真を正面から見ていたのに、今回は「かわいそう」と言う気持ちはまったく無く、ただ「怖い」と言う気持ちと「気持ち悪い」と言う気持ちしか頭の中に無かったのです。見るものすべてに足が止まり動けなくなってしまいそうになり目をつぶりたくなるような悲惨さに耐えられなくなりかけましたが、今私たちが原爆の恐ろしさをきちんと受け止めておかなければ広島に来た意味が何もなくなってしまうと思い,胸が押しつぶされそうになりながら見て回りました。特に印象に残っているのは原爆にあった人のろう人形と壁に浮き彫りにしてあった白い「水をください」と言う文字。ろう人形は手を前に突き出しなんとも表現しがたい表情をして、皮膚がずるずるにむけ垂れ下がっている親子と女の子とその周りの状況がただ恐ろしくて目を離したくても離せませんでした。そして浮き彫りにしてあったあの白い文字が目に映ったとたんに、あの状況で何人の人がそう叫びながら倒れていったんだろうと想像していました。見学が終わったとき、ショックで頭が少しふらふらしていました。二日目の碑巡りでは嵐の中の母子像と、女教師と生徒の像と、それに刻まれていた「大き骨は先生ならむ。その周りに小さき頭の骨集まれり」と言う文字が忘れられませんでした。嵐の中の母子像はなぜかお母さんのことが思い出され、お母さんってたくましいなぁと思いました。

 この三日間の合宿で考えていたことは、分かち合いでも言いましたが、こんなことまでして得られるものは本当にこの世にあるのだろうかということです。私にとってこの世で一番大切なのは、お金や権力や土地や地位なんかではなく、命だと思います。生きるということだと思います。これは誰にとってもそのはずです。お金や権力に目がくらみこの大切なものを見失ってしまっている人がいると言うことが広島に来てわかりました。そんなもののために人の命を奪っていいわけが無いと改めて思いました。いつの日か平和がどんなに大切なものなのかを世界にわかってもらって、核の必要ない世界が実現してもらいたいと思いました。また来年も来ようと思いました。とても楽しい3日間でした。


家 友樹「原爆資料館」
 ぼくは原爆資料館に行くのは3回目でした。原爆資料館は今までちゃんと見ていなかったので今回はちゃんと見てみると、ビール瓶がとけてどろどろになっていたのや、男の人の皮膚がまっくろになっていたりしてうわ〜と思いました。それを見て僕は初めて平和がこんなに大切なことがわかりました。ぼくは今まで平和が当たり前みたいだと思っていたけど、昔は戦争などがあって平和じゃなかったとぼくはおもいました。ぼくたちはすごくいいときに生まれたと思います。ぼくたちはこの平和な世界を大切にしていきたいです。そして戦争のときになくなってしまった人を祈り、がんばって戦争がない戦争にしたいです。そしてみんなが楽しい世界にしたいと思いました。


冨田 野絵 「二度とおこらんように」
 私は6日のミサで8時15分をむかえた?とき、今まではテレビの前で、すごいてきとうな気持ちでもくとうしてたけど、今回は資料館を見たり、班の人らぁと原爆についてはなしたりしたので、8時15分になったとき、すごい鳥はだがたちました。

 一瞬にして、何十万人の人が焼け死んだと思うとめっちゃ恐ろしいなぁと思いました。それだけにとどまらず、見ためは元気そうやった人が十年、二十年たって、ほうしゃのうのえいきょうで白血病になって亡くなっていって、六十年たった今でも苦しんでいる人がいると思うと、なんかいつまでうちらを苦しめたら気がすむんじゃ!!とアメリカをにくんでしまいます。私はこんなことが、絶対これからあってはならないと思います。

 でも平和公園でたくさんの外国人がおっちゃって、共感してくれてる?と思うとちょっとうれしかったです。


稲庭 悠季
 広島には去年も来たけど、資料館を見た印象がかなり違いました。去年は見るのが嫌で、あまりじっくり見なかったけど、今年は模型や遺品の横にある説明文も読めるだけ読みました。被爆者に自分と同い年の人や年下の人がかなりいたことに驚きました。何をしていた時に被爆したのかも書いてあって、働いているときに被爆した人が多いように感じました。他にも遊んでいる時に被爆した人、どこかに行く途中で被爆した人など、色々な人がいました。被爆証言者の人は建物疎開の説明(順序)を受けている時に被爆したと言っていました。みんないきなり死んでしまうなんて思ってなかったんじゃないかと思いました。

 印象に残ったのは、原爆を落とされる前の広島市と落とされた後の広島市の様子の模型です。一発の爆弾でここまで壊されてしまうんだと恐くなりました。こんなものをまだいろんな国が持っていたり、作っていたりするのはなんでなのかと思います。広島市も核実験が行われるたびに色々な国に電報を送っているけれどちゃんと分かっているのかと感じられました。広島でのことをわかっていて核を作っているのなら、それはどんな事を思って広島の事を考えているのかが知りたいと思います。

 分かち合いで『平和』について考えました。私が思う平和は、お互いのことを理解して認め合うことです。考え方の違いが争いになることもあるので、「そういう考え方もある」と思えばいいんじゃないかと思います。日常が幸せだと感じることができればそれが平和だという考え方もでてきて、なるほどと思いました。友達や家族に明日も会えると感じるのは幸せだし、戦争があればそんなことは考えられないんだろうなぁと思います。だったら、今の日本は平和に近い状態だけど、世界はまた平和といる状態ではないし、日本もこの状態がいつ壊れるか分からない状況のように感じます。

戦争をしようとしている人が、広島の資料館や原爆ドームなどを見て考えが変わったらいいなあと思います。


盛永 信一
 広島に原爆が落ちた後の爆発できのこ雲が出て当時の被害の大きさを表していたことはテレビや本など、学校でも見聞きして知っていましたが、火の海で焼けこがれた人々が全身の皮がはがれ落ち生身の血みどろになり苦しんで死んだ人々の様子や被害に合った人々が今でも苦しみを背負って頑張って生きているので大変だなと思いました。

 今回の広島巡礼に行き現地で直接聞くことが出来、参加出来て本当によかった。そしともう二度と戦争があってはならないんだと思い全世界のみんなが平和であってほしいと思いました。


栗山 透
 今年、二回目の広島巡礼に参加しました。来てから気づいたことですが、なぜか去年の広島のように、胸の中の恐さやもやもやが今年はありませんでした。おそらくこれは一度来てなれた事もあったと思いますが、自分で「もう原爆を落とすな」という事がいつの間にか「もう原爆はおちない」と思い込んでいたからだと思います。
 原爆資料館では、原爆が投下された後の人の模型のところで、それまで見たかったものの前で、自分の意志で足を止めていましたが、急に足が重くなり、ひきつけられるように無理やり止められたような感じで止まりました。その模型は広島の悲惨さを強く語っているかのように、僕の心に残りました。

 平和行進では、ギターを任されました。いきなりの事で、さらに初めてのことだったので、始めは嫌でしたがだんだんやる気が出てきました。おそらく皆が僕を支えてくれていたからだと思います。この時、世界全体がこのようであれば、平和が来るのではないか、なぜ全ての人がこのような事ができないのかと思いました。

 わかちあいでは、リーダーの言われた「非戦争が平和ではない」という言葉にすごく共感しました。では、どのようにすれば、平和は訪れるのでしょうか。わかちあいでは、「お互いを認め合い、争いがなく、日常を心から幸せだと感じること」とまとまりました。これはまぎれもない事実であり、やりぬかなければならない事ですが、現在ではなかなか難しいことだと思います。

 これが形だけのものにならないよう平和の達成に努めたいです。


吉竹 倫子
 3日間広島に来て、めっちゃシンドかった。体調もすぐれなかったけど、頑張った。
2年前に広島に来て、原爆資料館トカ見てたよりも、今回の方が印象に残ったことが多かった。

 印象に残った事は加藤サンと服部サンの話がエグい事が多くて、前に来たトキよりもざんこくなことがとてもよくわかった。

 あとは、学生の服を見て、二人の外人が泣きながら写真をとってた事です。それだけざんこくな事がいろんな人に知ってもらって良かったと思います。

 あと、わかち合いの時にみんなで話し合ったトキはみんな真剣に話し合って良い思い出?ってか、平和の事や戦争についての事がいろいろ話せて良かったと思う。

 平和こうしんの時は全国の人があつまって、すごい列になって、こんなに平和をねがってる人が本当にたくさんいるんやなあ、と思った。

 ひめぐりでは、本当に暑くて死ぬかと思ったケド、2年前に見れなかった、いれいひを見ることができてよかった。

 ミサでは初めてあんな大きい教会と司教さんとで初めてあんな大ぜいの人とミサをしてパンをもらうとき、前に行くトキもめっちゃキンチョーした。そしてとても暑かった。

 アタシがこの合宿で頑張った事は、千羽鶴を10羽以上おった事!!。
くらやみの中で一羽おったことにかんげき。しかもめっちゃキレイにおれた。
さすがに30羽とかはおれへんかったケド、1羽ずつキレイにおった。

 いれいひの周りにおりづるがめっちゃいろんなところに置いてあって、やっぱみんなおってるんやなーと思った。中には、おりづるで“平和“って書いてあったり、おっきいおりづるがあったりした。あと花束もあった。
美紀ちゃんに聞いたことで、あの原爆ドームはほとんど保存できるように補強してあるだケで、本当にあのままおいてあるんだなあ、核はこわいなあと思った。

 しんどくて、暑くて、つかれたケドたのしかったと思いました。
NO WARやーん


山西葉月
 私がこの京都教区の広島平和巡礼に参加したいと思ったのは、去年平和巡礼にきたときにすごい貴重な体験をさせてもらったのに、この広島に落ちた原爆によってどれだけの人が苦しんだり悲しんだり辛い思いをして今までの時間をすごしてきたのか、そういうことがなかなか受けとめられなかったこともあり、(私にとって)2回目の今年も参加することにしました。

 今年のテーマはほとんどが平和について考える内容でした。この平和巡礼のように小学校のときにも「平和とは何か?」ということをテーマにして考えた事があったけど、その時は本気で平和について考えるという気持ちがあまりなくて、結局平和っていうのはただ戦争が終われば世界は平和になると考えただけで終わってしまって、去年来たときもそんな感じで終わってしまって、今年は今までよりもちゃんと平和というものについて向き合えたと思います。今年巡礼にきて考えたのは、やっぱりただ戦争が終わっただけで平和になるんじゃなくて、世界中で差別で悲しんでいる人や食物がなくて困っている人とか、苦しんでいる人たちみんなが笑うことができるようになることが私の思う平和です。でも今の世界ですぐに平和になるということはたぶんけっこう時間のかかることだという事はわかっているので、とにかく何年かかったとしても世界中が本当に笑っていられる事ができるようになったらいいなぁって思います。

 あと、二日目のときに被爆者の人の証言をきいて、ほんとにあんな小っちゃい爆弾であれだけの人たちが一瞬にしてあんなひどいことになってしまうなんて、あんまり信じることができなかったけど、原爆をつくった人も好きで日本に落としたかったわけではないという事をニュースでみて、つくってしまった人の気持ちがわかった気がしました。

 また来年きたときにはもっと深く考えることができたらいいなと思います。



●三年生の感想●

平野 慶直
 僕は広島平和巡礼3度目の参加でした、なぜ今回参加したかというと、単純に友達と会いたかったと言うのもありましたが、やはり広島に行き平和について何度も勉強し何度も思い返すと言うことに深い意味があると思ったからです。そして、みんなと共に心をあわせ祈り、より多くの人たちに平和について考えてほしいと思ったからです。と言うことで毎日の部活の息抜きもかねてやってきました。

 今回また3度目と言うことで一応わかっていることもありましたが、いろいろ新しい発見や新しい考えもできました。そして、他の人の話しや考え方を聞いて思い返すところもありました。広島平和記念資料館も3回目でしたがやはり来るたび来るたびに印象がかわります。見ただけでは気持ちが悪いものがほとんどでしたがその影に隠れている大切な意味を考えているとすごくとりはだがたってきます。3回目だから知っているものばかりだが見るたびにとりはだがたってしまう。それと同時になぜアメリカの人は広島にこんなひどいことをしたのだろうかという疑問で頭がいっぱいになります。

 分かち合いでは平和とはどういうことなのかずっと考えてきましたが、本当に難しいものなのだとまた思い返しました。もし原爆が広島や日本以外のところに落ちていたとしたら日本は戦争をまだしていたのかもしれないし、こんなに平和について考えることもなかったのかもしれません。

 今の日本は平和だと思います。でも世界には平和じゃない国もいっぱいあります。日本だけが平和なのではなく世界中の人々が平和になれる、そういう未来をめざしてまだまだこれからも勉強していきたいと思います。そして多くの人たちに平和について考えてほしいと思いました。


岡山 珠実
 私は今回初めてこの広島平和巡礼合宿に参加しました。最初に原爆資料館に言ったとき、まず初めに広島に原爆が落とされる前の町の様子と落とされたあとの町の様子の模型が目にとまりました。私は今回が初参加なので資料館に行ったのも初めてでした。すごくびっくりしました。原爆が落とされたあとはほとんどの建物がこわれていて何もありませんでした。一瞬で建物が何もなくなって原爆のおそろしさがすごく伝わってきました。そしてその原爆でたくさんの人たちが傷ついて苦しんだということを考えると、すごく悲しくなりました。

 もうひとつ印象に残っているのは、たくさんの遺品や写真などです。遺品には一つ一つ名前と年齢が書いてありました。その中には自分より年下の人もいたし、ほとんどが同じぐらいの年の人たちでした。服はボロボロで血がついていて、すごく苦しかっただろうなと思いました。真っ黒のお弁当箱や、皮膚やつめなども置いてありました。遺品などはちゃんと説明を読んだり、しっかり見ることができたけど、大やけどをおった人の写真を見たとき思わず目をそむけたくなりました。もし自分がこんなやけどをおったら、もう生きたくない、死にたいと思うだろうなと思いました。そういうやけどをおった人がたくさんいて、みんながすごく苦しんだということがわかりました。だから二度とこんなことが起きてほしくないと思ったし、起きてはならないと思いました。


木村 明 「広島巡礼に参加して」
8月4日から6日までの3日間、中学生会広島平和巡礼に参加しました。平和とは何か、戦争とは何かを学びました。この3日間は暑くて大変な巡礼でしたが、僕にとってもいい貴重な体験となりました。

 僕は巡礼の前日までに平和とは「自分が幸せなこと」だと思っていました。日本では今は戦争もしていませんし、平和が保たれているので、僕はこのような考えを今まで持っていました。しかしこの巡礼に参加して分かち合いを通してみんなが平和について個々の考えがあることに初めて気づきました。「平和」と言う言葉にはいろいろな意味があることをまず学びました。

 次に学んだのは「戦争」についてです。僕は戦争の恐ろしさ、むごさ、残酷さなどをいろいろ学びました。世界的に「戦争」とは国家間でするものだという定義がありますが、文字の意味からすると、とても身近なものもあります。けんか、暴力、言い争い・・・これらもある意味戦争です。僕は今まで戦争は関係ないと思っていましたし、考えたこともあまりなかったです。しかし、身近なところに戦争があることに気づきました。まず自分から我慢する心を育みたいと思います。

 この平和巡礼に着てみて、僕の戦争や平和に対する考えや気持ちが大きく変わったと同時に、新たに得るものがたくさんありました。分かち合い、平和行進、祈りを通してみんなといろいろなものを共有できてとてもいい経験になりました。そして心で思うだけでなく、祈りや行いを実際にしてみたいと思います。


小林 真衣
 8月6日、8時15分、広島への原爆の投下その時の広島は、今では想像もつかないほどの焼け野原になっていました。その中で私が今まで知っていたことは本当に少なくて、去年と今年この合宿に参加して、たくさんのつらい事や悲しい事がある事がわかりました。

 一日目に見た原爆資料館では、ぼろぼろになった三輪車やお弁当箱を見たりして、その時のつらさや悲しさがあふれ出ている気がしました。そしてその三輪車やお弁当箱を提供してくれた遺族の方々は、今の私達、戦争を知らない子どもたちに、そこから何かを学んでほしいのだと思います。その事を私達も受け継いで、分かち合いができてよかったと思います。

 去年は見れなかったというか見たくなかった模型や人の写真も、今年はリーダーと一緒に説明してもらって周れて、去年よりも多くの事をわかっていけたと思います。現実ではありえないような事なので、資料館でも被爆者証言の時でも受け入れるのに時間がかかり、整理するのもむずかしいです。なので、これから時間をかけて自分のものにしていきたいです。


山本 優理
 私がこの広島平和巡礼に参加したのは、今年は三回目です。この巡礼には毎年テーマがあり、去年はカンナの花で、今年は戦後六十年、戦争を知らないこどもたち、戦争を知らない大人たちでした。 そんなテーマもあり、三回も参加しておきながら一昨年は『えぐいっ!』っと思ってまじめに展示品を見ず、去年はカンナの花だけをみて、資料館で現実と真正面から向き合ったのは今年が初めてだったのです。

 そして現実と真正面から向き合った結果、原爆や被害者の方々に対する気持ちが変わりました。それは一昨年や去年は『気持ち悪い、うちはこの時代に生まれなくてよかったな。』としか思っていなかった気持ちが今年は『被爆者の方々はごく普通の生活をしているときにたった一個の爆弾によって一生をうばわれて、本当にかわいそうだな。なんでこんな目にあわなくてはいけなかったんだろう。』とつぎから次へと疑問が出てきてとまりませんでした。被害者の方は、たったこれだけの一個の原子爆弾に一生を奪われて、こんな戦争で身体や心に大きな傷を負い、こんないい方をすると本当に悪いのですが、本当に死んでも死にきれなかったと思います。

 だからそんな被害者の方々のためにもこの多くの人達の悲しみや体験をあとあとに伝えてゆくことが平和につながる第一歩になるでしょう。

 被害者の方々のためにも、今後はこのような被害者をださないためにも、平和を築くことが私たちの義務だと思います。そして一人でも行動をはじめたらみんな動きはじめるはずです。私はこの広島平和巡礼に三回参加してやっと行動しはじめることの大切さに気付きました。そしてこれから、行動しはじめようと思うことができました。


河岸 徹哉
 自分は、この合宿に参加するのは初めてで同じ教会の人は一人もいなくて、いろんな心配事がありました。

 原爆資料館では色んな資料があって、模型や絵、文章、遺品等沢山ありました。焼けた服、割れたガラスの破片が刺さった物品、被爆した人の写真、本当にみるのが嫌でした。それでも見て学んで後世に伝えなければならないと思いました。六十年前広島に原爆がアメリカによって投下され、十数万人の命が一瞬にして奪われました。それの詳細を聞いたり見たりして、もう、こういうことを二度としては、いけない。これから一回も起こさないように、小さなことでも止められるようにしょう。そう思いました。

 原爆をおとされた広島の人の話しを聞いている時に、ちょっとでも、取り入れよう。ちゃんと話を聞こう。そう思いながら話を聞いていました。その内容は資料館で見た物よりも詳しく、リアルだった。

 平和行進では、足は痛かったりしたけど、音楽が嫌いな自分でも面白かった。
広島平和巡礼を通して、自分の原爆の知識を高められて、被害者の思いも聞けて、良い体験ができた。こんな思いを今するんだったらもっと早くから来ればよかったと今になって後悔した。


吉村 允宏
 僕はこの合宿には去年も参加していたので、今回は二度目だった。そして3年生なので参加できるのも、今回で最後だった。今回は戦後六十年ということもあり、去年よりも外国人の人々が多かった。多くの人が平和について考えているのを改めて実感した。

 一日目に行った原爆資料館では、仲間の一人にリードされながら、核の事を学んだ。その仲間がいなければ、去年より一つ増えていた抗議電文を見落とすところだった。今回はロシア連邦が北極海周辺で核実験を行ったことについて書かれていた。未だに核を使っている国があるのはどうかと思う。

 二日目はまず、被爆証言を聞きに行った。去年はかなり聞き逃してしまっていたので、今年はかなり集中して聞いていたと思う。そこで聞いたのは爆心地付近の温度は三千度から四千度にもなり、そこにいた人達は骨も残らず溶けてしまったということを聞くと、今まで自分の考えていた想像をはるかに超越する破壊力だという事だと思った。そればかりでなく爆風で人も建物も、紙のように吹き飛び、原爆から出た放射能は、今も被爆者達を苦しめているのはあまりにも残酷だと思った。

 平和行進は去年と違い、恥も何もかなぐり捨てて歌い続けた。そのおかげで声は少しかれて、足も痛くなりあまり、気分の良い物にすることはできなかった。その後の平和祈願ミサでは日本以外の司教様ともミサができて、去年に続き、とても光栄だった。

 夜は二日とも、疲れも忘れて遊んだ。それでリーダーにしかられたが、それでも楽しかった。
 この合宿では去年見た灯籠流しが日程の関係で見れなかったのが残念だったが、それを差しひいても大変有意義な三日間だった。

 普段の日常生活では核や戦争のニュースを見ても他人事のように見てしまっているが、もっと自分は世界で起きている事にも、意識して生きていくべきだと思った。


松本 晴馬
 ぼくに参加資格があるのは、広島に中学生として来るのはこれが最後になります。戦後60周年の節目の年ということもあってか、いつもに増して人が訪れていました。外国人観光客も多く日本だけでなく、多くの国の人が広島や平和について考えてくれるようになっていると改めて実感したように思います。

 と、思っていたら、抗議電文(広島市長などが核実験等を行った国に対して抗議する電報)がこの一年でまた一枚増えており、未だに核実験が行われている現状も知りました。何で核を使うのか、なぜ核を持つのか、理解できません。もちろん核だけでなく、どんな争い事もよくないのですが特に核は殺傷数がはんぱじゃなく、放射能の害がひどいときは一生ついてまわり、極めて残こくな兵器であるので、まず(兵器では)これをなくしていくべきだと思います。

 さて日常生活を見ていると、兵器こそないもののイジメがあるだとか、すぐに暴力をふるう人が多いだとか、平和とは言えないのじゃないかと思われることがけっこうあると思います。こうした人が増え、国同士とかになると戦争になると思われます。よってこうした意識を変えることも大切です。

 核をなくすことと人の意識改革。この2つが実現すれば世界は変わると思いますが、いかがでしょう。
(注:核・・核兵器。)


清冨 千鶴
 私がこの巡礼に参加したのは2回目で、今回が最後の参加です。私はこの巡礼に参加して、去年よりも原爆のことや広島への被害の大きさを知れたと思います。多分去年よりも理解力が高くなってると思うので、いろんな人の意見とかも受け止めれるようになったと思います。人それぞれ価値観がちがうということとか全く反対のこと考えていることもあるんやなっていうことがよく分かりました。

 資料館へ行ったとき、すごい人の量にびっくりしました。外国の人たちも多くいました。私はやっぱりみんな平和のこととか戦争のことを深く考えているんやなと思いました。

 今現在、戦争のことや原爆のことを体験した人、それを私たちに話してくれる人が少なくなってきています。私はだんだん戦争の存在がうすくなっていきそうに思います。だけど私たち1人1人が戦争の恐ろしさを認識して、これから先ずっと戦争をしないように伝えていかないといけないと思いました。

 もう二度と被爆者の人たちや戦争の痛みをあじわった人たちの苦しみを繰り返してはいけないと思いました。そのためにも、被爆者の人たちの苦しい体験を私たちはしらなければならないと思いました。そしてそれを後の世代の人たちに伝えていって、ずっと平和な世界、日本であってほしいです。


道田 晴加
 私はこの広島平和巡礼に参加したのは、今回で2回目になります。2回目の参加も目的は、正味ともだちに会えるカラとか、夏休みヒマつぶしとかいろいろ有ります。何より決めてになったのは前回楽しかったカラであり、戦争のザンコクさとか、今日本が平和であるありがたさを前よりさらに実感するタメです。

 資料館は、小学校の修学旅行・前回・今回で3回行ったけど、被爆者に対する想いと、戦争を起こした国に対するにくさは変わりませんでした。

 分かち合いでは、なぜ戦争が起きたのか、などを話し合い、はすかしいけど初めて深く考えたかもしれません・・。小6のトキ初めて資料館に入ったトキ、初めて見る模型や原爆によってボロボロになった服にスゴイいあつ感があり、そのトキは「スゴッ!!」という感情しかなくて、なにによってこんな体になるのトカ、なにによってドアがつぶれてるのトカ、なにによって影が残っているのトカ考えたコトがありませんでした!!けど、1つ1つ学年があがって最高学年になった今では、物の考え方が変わり、真剣に考えるコトができるようになりました(照)。「戦争なんて終ったコトやからどうでもイイ」と想っていた私をこの巡礼が変えてくれ、友達がいるコトの幸せを実感させてくれ、碑めぐりや分かち合いなどができて良かったです。イイ経験をありがとうございました。



●リーダーの感想●

宮地 周吾郎 「60年経って」
 今回初めて広島を訪れることになりました。今までの平和教育で広島、長崎のことはある程度知っているつもりでしたが、今回リーダーとしてこの平和巡礼を準備してみると、やはりまだまだ知識不足さを痛感させられました。正直なところ、やはりどこかで自分には関係ない話だと思い込んでいたようです。私たちリーダーは中学生の前で自分で考える戦争・平和について思うところをスピーチする時間があったのですが、各リーダーともアプローチの方法はさまざまで、思い思いの戦争の捉え方が見れてとてもいい刺激になりました。分かち合いでも中学生の考えにはっとさせられる一面があったりと、とても気づかされることが多い合宿となりました。

 また私にとってはとにかくすべてが初体験で、初めての原爆資料館、初めての平和記念公園、初めての平和行進など、すべてがまっすぐにこの目に入ってきて、心の中に深く入り込みました。もし次に広島に来ることがあってもこの感情を忘れないでいたいと思いました。

 また、今回のテーマ「戦後60年、戦争を知らない子供たち、戦争を知らない大人たち」もひしひしとその重さが伝わってきました。私たちリーダーですらそれほど満足に戦争の悲惨さ、平和の大切さを学べていないのに、中学生にそれを知ってもらうのは大変な苦労を伴いました。確かにこのままでは戦争を知らない世代が全世代になってしまいます。でもこれは本当に起こったこと、私たちには伝える義務があるはずです。今回この「ヒロシマ」を伝える一端を担えたことを少し誇りに思います。

 最後に、中学生のみんなの偽りのない心からの笑顔を見て、この笑顔を戦争なんかで絶やしてなるものかと思いを新たにしたこの3日間でした。 
 

大崎 桂祐 「知る」 
 私が中学生の頃に初めて広島に訪れてから10年という年月が経った今、見た目も変わり、平和を願い、過去の過ちを忘れてはいけない。そんな広島の方々の熱い想いを強く感じた8月6日でした。

 リーダーとして参加してきましたが共に考え、分かち合い、戦争を、原爆を、広島を、決して忘れてはいけない。戦後60年という節目を迎えて中学生のみんなと想いを深める事が出来て良かったです。

 そんな想いとは裏腹に今の子供たちの中には8月6日に何があったのか知らない割合が増えているという事実を被爆者の方から聞いて私はショックを受けました。なぜ知らないのか、なぜ、知ろうとしないのか…。もしそんな子供たちが何も知らないまま大人になって再び過ちを犯すようになってしまったらと、考えるととても怖くなります。憲法第九条や靖国神社など連日テレビで報道されている内容に興味や関心を示して欲しいと思います。私はこの巡礼の為に憲法第九条や靖国神社について勉強をしました。その過程でわかった事がたくさんありました。わからない事もたくさんあります。

 平和について考える上で大事なのは一体なんでしょうか。まずは過去の過ち、日本が何をしてきたかを知るべきだという想いが第一にあったので今回の広島巡礼でリーダーとして参加し中学生と共に分かち合うことが出来て本当に良かったです。


新井 美緒 
 初めての広島でリーダーを努め、総括としての不安と、広島へ行くことの軽い胸の高鳴りが入り混じる気持ちで、巡礼当日を迎えました。

 平和とは何か。原爆は広島に、そして日本に何を残していったのか…。行く前にもリーダーどうし、勉強や話し合いをしていきましたが、実際に見る原爆の傷痕はあまりにも酷く、私の心を壊しかねないものでした。

 私達の当たり前のようにある平和。有り難みを感じるよりも自分のちっぽけな悩みや不幸さを問題にして生きてきていた浅はかな考え。こんな自分が恥ずかしくなりました。今の日本は平和に溺れ、平和の尊さを知らずに暮らしていることに気付かされました。

 最近の子共達は戦争の恐ろしさを知りません。私もその一人でした。知らないで過ごすのではなく、知って今ある平和を大切にし、一人ひとりが戦争を起こさない努力をすることが大事だと思いました。
きっとこの世界を変えられる。自分にできる範囲で平和を守っていきます。
 

鶴山 進栄
 今回の巡礼で心に留まったことは資料館にあった展示物である。一つは教科書。日本は確かに過去、アメリカ軍によって被害を受けたわけであるがアジアでは加害者であったことを忘れないようにしたい。資料館ではフィリピンや韓国の教科書が展示されているわけであるが、彼らにとって我々日本人がどう映っているかということだ。ある神学生は韓国にスタディー・ツアーに行った際、あちらの戦争を経験した世代の方が「日本人は突然、態度を変えるから怖い」と言われたことがあるそうだ。この言葉を聞くと、もちろん個人的にはショックを受けるわけであるが、それが彼らの受けた傷なのである。1日目の夕方、銭湯で偶然、杉並区の歴史教科書をめぐって反対運動がテレビに映っていた。間違った歴史観を次の世代に伝えてはいけない。大人の世代ができること、それは日本の過去の罪、そしてその罪を謝罪することのできない現代における罪を解消していけるように微力ながらとりくんでいきたい。

 もう1点とても注目したことは、火傷を負った女性の写真である。この写真の女性のように火傷を負ったり、ケロイドができた女性のことを思い巡らす。特に若い女性の中には将来を絶望し、自ら命を絶ってしまった方がいると聞く。これが戦争の傷、戦争の現実なのだ。この現実から目をそむけないようにしたい。

 現在、日本の政治が右傾化している。これ以上傾かないようにどうしたらよいか。大切なことを選びとるようにしたいものだ。


白濱 みゆき 「ただいまっ!」
 広島の駅に着いたとき、観音町の教会に着いた時、そんな気持ちでした。中学の頃に参加し、今度はリーダーとして帰ってきてうれしかったです。

 今年は中学の頃広島平和巡礼に参加したので2回、中学の修学旅行、個人的に1回、今回の計5回目の参加となりました。

 今回私がとても強く感じたのは「不安」です。資料館で遺品が多く展示してあるコーナーに行く前、5回目の見学にもかかわらずはじめて「怖い、恐ろしい」と感じました。また、さらに今年は日程の関係でミサ中に原爆投下の時刻を迎え、黙祷を捧げました。そのとき「いきなり爆風と熱風がこの聖堂に入ってきて、窓ガラスが私達につきささって…」と今までの原爆に関する知識を元にしてそういったことを想像してしまいました。ミサというどちらかといえばあたり前の空間が一変すること、よく被爆した方つかう「この世の地獄」という表現の意味が少し理解でき、泣きそうになりました。

 こういうことが広島を体験することかな、と思います。戦争や原爆に関する資料や資料館は身近にたくさんあります。それでも8月6日にわざわざ広島に行ってやはり「体験する」ということ、広島を体験するために多くの人と祈りを共有すること、それを実感する経験をする巡礼であってほしい、と思いました。


A.M.
 初めて教区の広島平和巡礼のリーダーを務め、たくさんの出来事を中学生と共に体験させていただきました。三日間共にすごしたすべての参加者たち、お世話になった観音町教会の皆様、広島市で出会い関わったすべての方々に感謝しています。

 私は五年前の8月、高校生の時分に、広島市に訪れ原爆資料館や碑石を巡ったのですが、その時目にしたすべてのものが衝撃であった事を覚えています。自分の生きている現代と、写真や絵や模型、被爆者の遺品から伝わってくる1945年8月6日の現実とのギャップが激しすぎて、17歳の私は、自分の中でわきあがる悲しみや怒り、憤り、哀れみ…たくさんの感情の整理がつかず、ただただ呆然としていました。

 あれから5年、リーダーとして再び広島に訪れた私は、広島で起こった現実を目をそらさず見据えよう、そして、その上で今自分たちは、平和がこの世界で実現される為に何ができるのか、また何をすべきかを中学生と共に思い考え、分かち合いたい、そう思っていました。

 ところがいざ合宿に臨むと、自分自身の準備不足・精神的未熟さに、夏の暑さも加わって、なかなか巡礼に対する心構えができず奔走するばかりでした。そしてふと感じました。現実世界も、今の私のように、奔走しているような状態なのかもしれない、と。世界では、国や民族同士に起こっている色々な現実問題にだけ必死になっていて、人類として本当に大切にすべき事がおろそかになっている、そんな気がしました。

 しかし、この巡礼で、中学生はそれぞれ等身大の自分たちで、広島世界での現実をうけとめ、平和が世界でなされる為にはそうしたらいいのかを精一杯考えていました。受け入れられないような現実も、自分なりに受け入れられるよう努力する姿が、私はとてもまぶしかったです。世界中の人々がすべて、中学生たちのように、他を受け入れる寛容さや謙虚さをもちあわせていたなら、もう二度と広島で起こったような悲劇が起こる事はないのにと、素直に感じました。

 世界中ではまだまだあらゆる争いが尽きませんが、各々がこの巡礼で感じた事を大切にしてこれから生きていったならば、平和の為に自分を捧げる人となれるのではないか、そして、そんな人たちが増えていけば良いのにな、そう思いました。
        
                                 
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