京都教区中学生広島平和巡礼感想文 2006年度 |
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○ 1年生の感想○ この巡礼で一番心に残ったのは、平和記念資料館です。その中でも心に残ったのは、右に、原爆前、左には、原爆後の広島があった。分かりやすかった。バクダン一つであそこまでなるんだなと思った。でもこの戦争もいきちがいなどでなるから僕は人の意見を尊重していきたいです。 しかし広島に行ってみてわたしの中の原爆のイメージがすっかりかわった。原爆でなくなった方は、みんなが焼け死んでいったと思っていたが、放射線で病気になった人や、爆風で飛ばされて亡くなった方など原爆は思っていた以上にこわかった。それに皮膚がただれたり、とけたり、ぶらさがっているじょうたいだったり、実際、わたしの手やせなかがそんな風になっていると、それを見ただけで、気絶してしまうと思う。 [呪われる]というイメージがあった原爆ドームや資料館は、実際には、かくへいきのこわさを世界中(?)にの人に伝える、大切な場所だと思う。れいはいるかもしれないが。原爆で亡くなった方のれいにおこられないように日本は二度と戦争はしてはいけないともう。最近は、憲法9条をなくすコトがおこってるらしいので、そうゆうのは日本国民全員がなっとくしてからやってもらいたいし、少なくともわたしはなっとくしていないので、憲法9条は一生日本に残しておいてほしいです。 3日間、広島に来て、僕は原爆について、あらためて原爆はおそろしいという事を思った。何万人の人が1秒後で死んでしまうということと、原爆のあつさで人の皮がとけていってそのまま死んでいってしまう。ということを僕は「原爆はこわいな〜」と思った。それについて今後はやっぱり戦争は止めてほぢいけど、自分1人で戦争をやめることはできないから自分1人でやっていけることは世の中にはいっぱいあるから、それをいかしていきたいと思います。 広島に来て原爆資料館に行った時、原爆がこんなにむごいものだとは思っていませんでした。見ていて心がズキズキしていました…。なぜアメリカはここまでひどいことができるんだろう…と思ってたけど、日本も今までほかの国に対して空襲と同じくらい、あるいはそれよりもっとひどいと思われるようなことをした事があるんだと思います…。だから、おたがいにあやまって世界の国全部と仲良くなれたら、どんなに素晴らしい世界になるかなーと思いました。だから広島県のことを全世界にもっともっと知ってもらって、戦争とはどんなにひどいことなのか、そのためによってどれだけの人たちが傷つくのかを知ってほしいと思いました。今、世界各国で起こっている戦争が、一秒でもはやく終わってほしいです。 @ 原爆ドームを見て、かろうじて、形が残っているじょうたいで下にボロボロにくだけたコンクリートがたくさんあった。これだけでも原爆の威力が高いということが分かる。しかもこの一つの爆弾で何万人もの人が亡くなって原爆のおそろしさを改めて実感した。 A 次に原爆資料館に行った。そこでは被爆者が描いた絵を見ていた。その絵の中はほとんど血まみれになっていたりひふがとけていたりなど原爆のおそろしさを語っていた。 B こんな戦争をしても悲しみやいかりしか生まれないのになんで戦争をするんだろう?やっぱりぼくは支配したいんだと思う。核兵器を作っているのも自分の国の力を他の国に見せつけているんだと思う。 C こういうじょうきょうを変えるには、ぼくは呼びかけが大切だと思います。一人一人が呼びかけたらいつかきっと戦争のない世界ができると思います。 遊里道 菜央 最初は行くか迷っとったけど今は、来てよかったと思います。 来て広島のことがよく分かったし、トモダチもたくさんできてよかったです。 原爆資料館に行っていろ×2なてん物を見て、やっぱりこういうことをするのはよくないな〜と思いました。 じっさいたいけんした、人が描いた絵を見て、そのとうじは、ものすごくたいへんだろうなと思いました。 今まだ戦争が終わっても苦しんでいる人がたくさんいると思います。だからなんのつみのない人が、こう苦しめられるのはおかしいと思います。 だからこの世から戦争というものがなくなって平和に暮らせる日が来ればいいと思いました。 島田 智穂 広島に来て一番最初に行ったところは幟町教会で、そこで被爆証言を聞きました。被爆者の森さんがとちゅうで泣いてしまったのを見て原爆は61年たっても人の心に傷を残しているんだなぁと思いました。4時45分には原爆供養塔に行きました。そこで初めて原爆ドームを見ました。原爆が投下される前の写真ではけっこう大きかったけど、投下された後、今の形のドームは小さめになっていて、原爆のいりょくがすごい事が分かった。 2日目は本川小学校資料館と平和記念資料館に行きました。原爆を被爆した人の絵、写真があって、絵は見れたけど、写真はこわくて見れなかった。とうろう流しも見に行きました。最初は明るくてぱっとしなかったけど、だんだん日が落ちて空が暗くなると、とうろうの明るさが目立ってきて、赤や青や黄色の光がとてもキレイでした。3日目、今日で合宿は終わります。3日間はあっという間に過ぎていきました。私はまだ帰りたくないけど、来年もあったら、また来よう思います。 森 美由樹 8月5日から8月7日まで広島に行き平和巡礼をしました。 1日目は幟町教会で被爆証言が行われました。被爆者の森さんは平和の為に色々な活動をされています。話を聞いていると、戦争というものは、この世に存在するものではないと改めて分かりました。その後、観音町教会に行きました。夕方になると、平和公園に行き、幟町協会まで平和行進をしました。そして平和祈願ミサにあずかりました。私はこの世界が平和になるように祈りました。私はとてもおどろいたことは、全国各地の教区の方々や日本聖公会の方々このミサに来られていたことです。私はみんなが一緒に祈ることで平和に近づけるのではないかと考えました。 2日目は8時15分に相生橋で黙とうしました。私は61年前ここに原爆という恐ろしいものが落ちたと考えると頭の中が真っ白になるくらい怖くて残こくです。次は平和資料館を見学しました。私は「自分が被爆者だったら」と考えて見学しました。見学すると残こくで、こんなことがもう二度と起こらないでほしいと思いました。 夕方、元安川で、灯篭流しが行われました。とてもきれいでした。流れている灯篭を見て、戦争は1日でも早くなくなってほしいと思いました。3日目にはこの巡礼の反省などをしました。 私は、この巡礼を通して、こんな残こくな戦争はもうしてはいけないと思います。いくら話し合いで解決できなくても、武力では解決してはいけないです。特に核兵器を使うことはいけないと思います。だから日常生活でもすぐ暴力を使わず、話し合って、けんかなどを解決しないといけないということが改めて感じられました。 田中 一光 今回の巡礼で原爆の怖さを知りました。 原爆ドームを見て破壊力を知り、人々の病気により放射能のすごさを知りました。 ササキサダコさんの像とその周りを囲む鶴の山を見て、人々が原爆が落ちて人の命が沢山失われたことをどう思っているかがわかりました。 とうろう流しで皆の思いがろうそくの灯りとなって川を流れていく風景は今までに見たことないほどきれいでした。 全体的に楽しかったです。 平野 慶孝 三日間の合宿でいろいろなことを感じた。まず一日目に被爆証言を聞いたり、平和行進をしたりして感じたことは、いままで感じていたこととちがってなまなましくぼくにとってはぶきみに思えて、またないようをせいりしてみるととてもかなしいできごとなんだなと思った。話を聞いているとき話していた歴史けんきゅう家の森さんがとつぜんなきだしたりもするくらいショックな話もありよい話もあって結局よい話しか分からなくなったけど聞けたことについては、よいたいけんだったな、と思った。平和行進ではとてもつかれてしまったけど、なんとなくいいきぶんになった。 二日目は、原爆ドームを見てまず大きいな、と感じまたすごい爆風などをたえてきたんだろうなと思った。 ほかにもいろいろとたいけんがあったけどぜんぶきちょうな体けんになったと思いました。楽しかったです!! 今回広島に行って改めて戦争のこわさ、原爆のおそろしさが分かりました。初日に被爆証言を聞いたときは、戦争の始まった理由が分かった。戦争の前に元になる争いが起こらなければよかったと思った。前には、戦争は、なければいい、かわいそうとしか思いませんでした。けれどいまは人の気持ちを考え、戦争に対して、もっと興味を持ち、今まで以上に真けんに向きあっていこうと思った。 その後の平和行進は、広島の人々が団結して、原爆に対してうったえているんだと思った。 ぼくたちは、前までふつうに、いやだ、最悪などと言ったり思ったりしたけど、原爆で亡くなった人の方が、もっといやだと改めて感じました。 二日目の平和記念公園で、戦争で被爆した人たちの衣類や防具などが、戦争のおそろしさを伝えてくれました。平和記念公園のおりづるは、とってもいっぱいあってあれだけの人が協力して、戦争をなくそうと言っていたと思った。 ぼくはこれからできる限り平和を大切にしていこうと思った。 濱口 聡子 この合宿で過ごした3日間班の女子の人たちと姉妹みたいに仲良くなれて安心した。 家で平和とか戦争とか全く考えたことがないし社会系とか苦手だから考える気にもなれなかった。でもこの合宿で、『平和記念資料館』とか原爆ドームなどを見て、“戦争で原爆が投下された時やその後の様子”が、少し分かった。 またこんなことがおこらないように人の事を分かってあげられたらいいなぁと思った とうろう流しのとき川にとうろうが流れていたけど、明るくて“早く暗くなって!!”と思ったことが印象に残った。 暗くなってから見たとうろうはすっごくキレイだった。 2日目に行ったミサはいつもはねむくなるのに、ぜんぜんねむくならなかった。そのとき1番前の左にあった電気がすっごくキレイに光っていた。 なんか忘れられない思い出になったような気がした。 金子 萌恵 私はこの合宿で初めて広島に来ました。社会や歴史に全く興味がなく、興味を持ち始めたのも去年の終戦60年の時に新聞やテレビで取り上げられたりした時に少し興味を持ち始めて沢山の疑問を持ちました。その疑問の答えをこの合宿で見つけたかったので参加しました。 この合宿の最終日を迎えて…。 原爆ドームを実際に見たり、資料館に行ったり、原爆の怖さにふれていくにつれて、みんなの目が真剣になっていったような気がする。最近のことばを使えば「えぐい」といえる光景だったが実際にあったんだなあとこの時の人たちがかわいそうに思えた。今の私たちはそれに比べてとても裕福な生活をしているんだからそれを感謝したい。 市川 昌志 ぼくは原爆ドームを見て、原爆の恐ろしい風景を想像した。原爆で数え切れない多くの人が死んだ。戦争をおこしてはならないが、戦争がおきても原爆なんて、恐ろしい爆弾を投下するべきではないと思った。そしてぼくは戦争はなぜおこるのだろうと思った。ぼくなりの答えだと、人は人を支配したがるのかなあと思った。答えは無数にあるのだと思った。その無数にある答えを一つ一つ見つけ、お互いをわかりあえば戦争はなくなると思った。 ○ 2年生の感想○ 諸 ハニノル 家族のみんなへ 今回広島に参加して自分自身「平和」について考えた。原爆が落ちた広島に着いたときは、ここに落ちたんだなあという感じだった。でもさすがに「おそろしさ」という気持ちはなかった。しかし平和記念館に行った時展示を見てとても心が打たれたような気持ちだった。 そして班の中で分かち合いという反省の形で話し合った。一人一人、いろんないろんな気持ちがあると聞いていて感じた。 でも平和について深く考ええられる場だったので、自分の考えが言えてよかった。 なぜなら、一人一人の意見を聞いて「あっ、この人はこう思ったんだ。」とか自分の気づいていない所まで、言っていたので、いろいろと参こうになったから このじゅん礼に参加して「平和」について真剣に考えられて、とても良い経験になった。 木村 茉莉楓 初の日、私はとても、緊張していました。なぜかと言うと、知らない人ばかりで、みんなと仲良くなれるのかなっと、思ってたからです。 でもスグに友達ができました。 私が一番心にのこったのは、資料館にある「エグイ」写真です。この時代どれくらいの人が「けが」をしたのか!?疑問でした。 私は今まで、戦争って言うのはロケットが空から落ちてきて「けが」をする!!って思ってたけど、戦争はロケットが落ちてきて「けが」をするだけではない、事が分かりました。家族を見すてて自分だけ逃げる事ある!ときいて「かわいそう」と思いました。 國居 里美 広島に来てから自分は今すっごく平和だと思った。いつも、また原爆が落ちるんじゃないかとか考えながらいるわけじゃないから。とってもいいことだと思う。平和ボケってバカにされたみたいに聞こえるけど、平和が有るからある言葉で、そういう意味ではいい言葉だと思う。でも、それと、平和じゃない時を知らないのはべつ今が平和だから平和じゃない時を知ることができて、平和じゃない時を知ってそれをこわいとか、悲しいとかそう思うことで、平和じゃない時を作るのが作るのがだめだということを少しでも考えることになると思う。 森下 千裕 3日間の広島での体験は体験は、はじめ、いきたくないっていってたケド、来てよかったなーと、思った。いろいろと考えが変わった。 1日目は行進をした!!街ん中を歌をうたいながら歩いた。はじめあついし、あるくとか…って思ったケドめっちゃ楽しかった。 2日目は資料館に行って、その後、とうろうながしを見た!!資料館はゆうてたとぉーりやっぱあかんかった…。でも「こわい」って思わんと「じょうぶつして下さい」って思おうと思った!苦手なんはかわらんケド、きて、そうゆう風に思えるようになれてよかったと思った。とうろうながしはあの量とキレイさにびっくりした!あの一つ一つにメッセージがかいてあると思うと、やっぱそんだけ「大きなできごとなんや」ってあらためて思った。京都にいるとわすれてはナイケド、そんなに話にもでてこんし、いれれて「そおやなあ!!!」みたいなもんやけど、広島にきてめっちゃ多くのしょめいあつめてる人、本をよんだはった人、しんじつをつたえてる人…いっぱいの人が原爆の被害のことをつたえていた。ほんまとうろうながしきれいやった(●´艸`){よ!! 田中 麻子 この3日間広島で平和学習をしました。 1日目は被爆証言者から被爆証言を聞きました。聞いて思ったコトは、すごく戦争が恐ろしく、とてもザンコクだと思いました。原爆多くの命をうばったコトや、モノをうばったコトがすごくザンコクで衝撃的でした。 2日目は平和記念資料館に見学しに行きました。1日目の被爆証言を聞いたときもすごくザンコクだったケド、資料館は本当に原爆の恐ろしさが再現されていてザンコクですごく怖かったです。本当に衝撃的でした。言葉に表すコトができないくらい本当にすごく怖かったです。戦争はやってかいけないと改めて分かりました。灯篭流しでは,みんなの願いが流れ伝わっていき、一刻も早くみんなの平和への願いが伝わったらいいなと思いました。 もう二度と同じ過ちをおかさず、1日でも早く平和が世界に訪れてほしいと思います。 小林 まなつ 広島の巡礼は2回目の参加やって、昨年と同じような事やったけど、やっぱり原爆は怖いものやと思いました。人間の皮膚がただれたり、たてものとかがつぶれたり。一つの爆弾でそこまでボロボロになるのは、原爆だけだと思います。原爆が落ちてきて、すぐ死ぬ人、やけどで苦しみながら死ぬ人、何年後かたったあとで死ぬ人、こんな差があるのも原爆だけだと思います。 今の世の中でも、平和な所とそうでない所があると思います。自分のやりたい事ができる人、特に不自由なく生きている人、日本の中のだいたいの人は平和にくらしていると思います。でも、日本の中でも事件とかがあるし、その被害者とかは平和じゃないと思います。 今の私はやりたい事もできるし、不自由な事なく生活できているから平和だと思います。 世界では、まだ戦争をしている所や、核実験してる所があるから、いつになるかわからないけど、なくなればいいと思います。世界みんなが争いなく生きていけて、原爆とかがなくなればいいと思います。 松浦 歌織 平和行進の後のミサ中、平和って何なんだろうなと考えました。世界中の一人一人がそのことを考えたら戦争はなくなるのか。でもその人によって思いや考えことは違うし、そもそもそんなことは不可能というか日本でも8月6日をただの記念日っぽく思ってヒロシマや原爆のことを深く考えていない人もいるのではないかな。私も若干そういう風に感じていることがありました。 61年前体験者から話をきく機会も少ないし考える機会もあまりないのではないか。そんなふうに思います。 かならずしも平和の反対が戦争ではないと思います。 平和どんなものかの答えは、あるのかもしれないし、ないのかもしれない。それを知ることができたらいいなと思いました。 平沼 鳳二 ぼくは、巡礼をする前は、何か分からないことがないか、しんぱいでした。しかし終わった今となってはその気持ちは消えて、別の気持ちでいっぱいになっています。その気持ちは平和は大切だという気持ちです。 なぜそのような気持ちになってしまったかというとぼくは、平和資料館での、『原爆の絵』を見て、戦争にまきこまれたがわからひ爆者からの視点から見て、そう強く思いました。『原爆の絵』は原爆のひどさと、戦争のざんこくさを物語っていました。『絵』は3千枚、4千枚の中の50枚ほどでしたが、とても印象にに残っていました。中でも、母と子が黒こげになってしまい、母は生き残ったけど、子供は死んでしまい母が「カワイソウニ」と頭をなでると、ペシャッとくずれて灰になってしまったという『絵』が心の中に強く印象に残っていました。 ぼくは、戦争で、そこまでして勝ちたかったのか、というぎもんを持ちました。ぼくは来年も来るつもりですが、その間、いろいろなことを感じれるようになって、また来たいと思います。また来年新しい考えを持って来たいと思います。 武村 朋尚 今回は京都教区広島平和巡礼に参加できてよかったです。あと広島の恐い歴史を知ることができてよかったです。あと灯篭流しでは61年前に亡くなった人が水をもとめて川にとびこんだすがたのようですこし恐かったです。さいごに原爆は人間の身体と心と希望をうばうものとしりました。 斉藤 衣舞 私は、初めて合宿に参加して思ったことは、平和改めて大切だと思いました。合宿に行く前から、平和であるのが一番いいなと思ってたけど、被ばく証言などを聞いてすごく強く思いました。特にそう思ったのは平和資料館で見た写真や遺品です。写真や遺品を見てる中で怖くてよく見れないのもありました。 この合宿で勉強になったことは、人の意見も受け入れることも大切だなと思いました。私は人の意見を聞いているつもりだけど、聞いてなかった部分もあったし、この合宿で直さないといけないなと思いました。 橋本 仁子 今回私が広島に行ったのは2回目です。今年は広島に原爆が落ちた8月6日広島に居ることができて、良かったと思います。2日目の朝、8時15分にもくとうした時、「もし今ここに原爆が落ちて来たら」と考えました。そしたら、なぜか、ものすごく恐くなりました。だってもし今ここに原爆がおちて、家族も友達も街も、そして自分もめちゃくちゃになって、目の前がまっ暗になったはら。そして知ってる人があとかたもなく消えてしまうか、誰かも分からない様な姿になっていたら。そして自分も死んでしまうか、大変なことになって自分だけが生き残ってしまったら…こんなことは、今の世の中からは想像もつかないことだけど、平和記念館へ行ったら、色々なものが展示してあって、本当にあったことだってことが実感できました。こんなことは去年、私は感じませんでした。やっぱりどこかで広島に原爆が落ちたということが信じられなかったんだと思います。でもそれから1年たってもう1度平和記念館へ行ったり、平和行進をしたり、広島で3日間をすごすことで、さらにたくさんのことを学ぶことができました。もう1つ私が気付いたことは私たち日本人だけが苦しい思いをしたのではないということです。これは被爆証言を聞いていたときに思ったことです。やっぱり原爆を落とされた、というアメリカに対しての怒りばかりが大きくなってしまっているのではないでしょうか。日本人だってアメリカの人々を殺しているのです。だから、これはリーダー達も言ってたのですが、おたがいを許しあうことで、戦争を終わらせることもできたかもしれないし、これからだってそうだと思います。相手が悪いんだといつまでも思っていては、そのような戦いはいつまでたっても終わらないし、いつのまにかなぜ戦っているのかが分からなくなってしまうのではないでしょうか。これは今の私達の日常でも同じことだと思います。私はこの3日間学んだことを、日常の生活に生かして考えていきたいと思います。 田畑 繁季 この広島に来て、とっても色々なを学びました。2班のリーダーと初めて会った時、こう思いました。『怖い』しかし時がたつにつれ、とってもやさしいことが分かりました。まあそれは置いときまして、色々と初体験がありました。広電は、車と電車がくっついたようなユニークな電車で、とてもイイと思いました。被爆証言を聞いた時は、とてもとても悲しい気持ちが伝わって来て、そんなにつらいことが起きたのかなと思いました。平和行進の時は心をこめて、歩き続けました。2日目には、初めてピカドン(原爆のこと)をくらった建物を見て、びっくりしました。平和記念資料館に入った時は、首が空にうきそうなくらいびっくりしました。1日目の時に被爆証言を聞いた時はピンときませんでした。その資料館(特に東側の人形コーナー)の時はとんでもなく恐ろしく、ピカドンの怖さを実感しました。ピカドンを知らない人は1度、この資料館に来るといいです。しかし、とんでもない恐ろしさで動けなくなるので十分注意して下さい。この僕も動けなくなりました。しかしこれが現実なのですから目をそらしては被爆者に申しわけないと思いました。夜の灯篭流しの時は、昼に、とんでもない現実をまのあたりにしたので、ずっと見送ってました。色々と怖かったですが、この目でピカドンの恐怖を見て、目のうろこが落ちました。なんとかして、今も苦しんでいる人達を助けてあげたいと思いました。 ○3年生の感想○ 家 友樹 8月5日から3日間広島に来て平和についての勉強をしました。広島に来るまでは、戦争のことを軽い気持ちで思っていたけど、資料館などを見ているうちに戦争がすごく悲惨でつらいことだと知りました。 ぼくは戦争で亡くなった人のためにもこれから戦争や争いを争いなどがなくしていきたいです。 戦争で亡くなった人のためにも命を大切にしたいです。みんなも大切にしてください。 栗山 透 今年は僕にとってこの平和巡礼に中学生として参加する年でした。1日目、京都駅集合で春休みに会った友達に再びあえて嬉しかったです。広島についてから被爆者証言を聞きました。被爆者の話は、原爆の被害にあったアメリカ兵の話で去年までの被爆者の方々の話は日本人、個人の体験談でした。今まで僕は日本人の被害だけを考えていたのでこの方の話しを聞いておもしろかったし、自分達のことだけ考えるのではいけないこと気づかされました。平和行進は前と後ろの他教区の団体の歌におされて僕たち京都教区は全然声が出ていなかったのではずかしかったです。来年からは大きな声で歌って悔いのないように呼びかけてほしいと思いました。 2日目の資料館見学では、地下の絵を20分程時間を費やして観賞しました。原爆や戦争の恐ろしさが繊細に描かれていてひしひしと伝わりました。分かち合いではみんながに質問に対するよい答えが書けていてよい分かち合いになりました。 僕は今年で終わりですが、この巡礼はとてもためになりいいものだと思うのでこれからもずっと続けてほしいです。 平沼 龍一 昨日行った原爆の資料館で見た物にはすべて原爆のいりょくが刻まれてました。その中にはごくあたりまえな道具や、服や、人のもけいなどがありました。僕としては最初は原爆のそのほうしゃのうの方に気をとられあまり気が付かなかったけど、展示物を見てほとんどが原爆の熱線の温度の被害によるものだと気がつきました。 そんな中で僕が思ったことは原爆は他のばくだんとちがって熱で攻げきしているという所がその悪さを証明していると思います。 原爆は戦争のうちで投下されたものなので、もとは戦争がなかったら投下されていません。戦争をしないためには平和を守らなければなりませんが、僕だけが平和について考えても、もっと多くの人が平和について考えてくれないとそれは実現しません。だからもっと多くの人が平和について考え、戦争や核について考えることができたら平和が来るかもしれないと思いました。 武村 朋樹 僕はこの広島巡礼に初めてだったけど、とてもいい経験になりました。 8月5日には、被爆者の話を聞きました。その内容は今まで知っていたこともあれば全く知らないような話もあったしその話はとても難しいわけでもないのでその時の場面がはっきり想像できました。その後に平和行進に行きました。こういう行事も初めてだったので、始めたときは少し嫌だったけど、終わった時にはいい経験になったと思いました。その日には初めて「原爆ドーム」を見ました。教科書やテレビ等では何度も見たけど実際は想像していたものより大きく昔の物という感じがはっきりわかりました。 8月6日の朝には相生橋から原爆犠牲者への黙とうをしました。その後には「平和記念資料館」へ行きました。そこには被爆者の経験を元にした絵がありました。それには原爆のせいで倒壊した建物の下じきになっているもののあれば水を欲しがって川に入りそのまま死んで流されている絵もありました。僕はその絵を一枚一枚いくうちにもし自分がこの絵の中にいたらと思うととても悲しくなりました。その夜「とうろう流し」を見に行きました。それは暗い中で見るとその中のろうそくの火が光っているのがとてもきれいに見えました。 この広島の巡礼はけっこうきつかったけどいい合宿になったと思います。 松本 綾乃 私はこの合宿で初めて広島に来て、平和について考えました。1日目、で被爆者証言を聞いて、森さんはたくさんの人たちが死んでいくのを目の前で見て、すごく怖かったと思います。原爆ドームも今にもくずれそうになっていて、今の形のまま未来に残していってほしいと思いました。 合宿でいろいろ見てきた中で一番印象に残ったのは、広島平和記念資料館で見たものでした。ガラスも原爆の熱で溶けてしまっていたし、服もボロボロになっていました。女の子たちの腕の皮がはがれているマネキン(?)も、にせものなのにじっくり見ることができませんでした。こんな子供や大人も、たくさんの人たちがこんなふうになっていって、これほどざんこくなことはないと思います。今度、何百年たっても何千年たっても、こんなことが起こらないようにしないといけないと思います。だから、この出来事を未来に伝えていってほしいです。 ○ リーダーの感想○ 奥埜 豪 リーダーとして、19歳の年齢で参加した今年の平和巡礼は、自分としては実りのある(?)ものになったと思う。 私も実は中学生時代、1年、2年、3年とこの行事を当たり前のように参加をしていた。(もちろん自主的ではあるが)そして学年を重ねるごとに、その考えも徐々に変わっていった。原爆の恐ろしさ、平和の大切さ、命の価値、などなど、実に多くの考えを私にもたらしてくれた。そしてそれから4年後、私はこの戦後61年目をむかえるヒロシマを見て、自分はどのような思いを手にするのかを知りたくて、リーダーとして参加した。そしてヒロシマは私に全く違う考えを与えてくれた。いや、考えというよりかは疑問を与えてくれたのだ。それは「何故に人は争うのか?」という内容だった。 二日目の碑めぐり、資料館見学、灯篭流しなどを見ている中学生やリーダーに、私はいろいろ聞いてみた。みんなそれぞれ多種多様な考えを持っていて、私自身も勉強させられるものがあった。そしてわかったことは、意見は違っていても、みんなが持っている「モト」は同じであるということがわかった。でも個性様々だから、その「モト」から発達するものが枝分かれしてしまうがゆえに結果的に違う考えになってしまうのだろう。本当はわかり合おうと思えばできるはずなのに、何故なんだろうか…? |