2022/1/23
今回は済州教区から京都教区に派遣されてこられた、ソ・ウォンハ神父様にメッセージをいただきました。
青年センターの都合で11月に原稿をいただいていながら、この時期の更新になってしまい申し訳ございません。
ぜひ、気持ちは11月で読んでください!
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教会では毎年11月を「死者の月」と呼びながら亡くなった方々のためにお祈りをしていました。小学校6年生のときに父が病で帰天された経験をした私は死者の月を過ごすのが嫌いでした。病で苦しんでいた姿も、予想できない突然のお別れも、思い出すととても苦しくて忘れようとしながらゲームとか小説、漫画などで夢中になっていました。それでも、心の奥には埋まらない穴が空いてしまった気がしましたが、他の皆には平気なふりをしていました。そんなある日、とある漫画のセリフが心に響きました。
「人は、いつ死ぬと思う…? 心臓を銃で撃ち抜かれた時… 違う。不治の病に犯された時… 違う。猛毒キノコのスープを飲んだ時… 違う!!! …人に、忘れられた時さ…!!!!」
今まで父の死を無かったことに、忘れようと必死だった自分の考えに深く反省しながら教会の神父様にゆるしの秘跡を受けました。そして、その神父様はいつもとは違う償いを私に与えました。「父と一緒にいた思い出の中で、良かったことを思い出して下さい。写真とか日記を参考にしても良いです。良い思い出が見つかったら、素敵な父を与えて下さった神様に感謝の心で短くお祈りして下さい」
その日から少しずつ身も心も落ち着きました。父と一緒に銭湯でお湯に入ることが大好きだったので、その日から湯に入る度、穏やかな気持になりました。「今は一緒にいない」の寂しさより、「今も一緒に見守っている」の気がして何事ももっと頑張れました。たまにお父さんの背中を流しているお子さんを見かけると、少し寂しい気持にもなりますが、いつか私も帰天したら父の背中を流すことを楽しみにしています。
皆さんは死者の月をどのようにお過ごしですか?生まれる前、幼い頃に帰天された方々は思い出すことは難しいですが、その方々を記憶している方々から良い思い出を聞くことはできます。どんな方だったのか、好きな食べ物は?好んだ趣味とか、面白い癖とか、一つ一つが大切な思い出になり、日常で思わずそれを見つけた時、またお祈りをすることもできます。
同じように、イエス様のことも思い出すこともできます。2千年前に亡くなった方ですが、私達と特別な絆で繋がっています。青年になって忙しくて、またはコロナで教会と長い間、イエス様のことを忘れてしまったなら、今月は教会での思い出を振り返ってみましょう。その時、イエス様は皆さんの心の中で生きており、もっと力強く見守って下さることになります。