2021/7/20
みなさん、こんにちは!運営委員のるちあです!
今回は、イタリアに留学中の大塚神父様が日常などについて書いてくださりました。
是非ご覧ください♪
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皆さん、こんにちは。イタリアに来て、まもなく二年が経とうとしています。ここで、普段 していることと、こちらの生活を通して考えていることを分かち合いたいと思います。
(1)普段していること
「イタリアで何をしているのか」と聞かれることがあります。今は、日本にいたときのように小教区で奉仕しているのではありません。今は、「大学院生をしている」と答えるのが わかりやすいのかもしれません。なので、平日は大学の授業を受けたり、課題に取り組んだ り…と皆さんにもなじみのある大学生活を過ごしています。皆さんも大学生の時に、勉強だ けではなく「課外活動」に勤しんだことでしょう。私も課外活動として、教会や建築物・美 術館の見学に行ったり、ジェラートやスイーツだけではなく、たまにレストランに行ってイ タリア料理を楽しんだりしています。他には、土曜か日曜にローマ市内の小教区の活動の見 学をさせてもらっています。
私は今、教会法の勉強をしていますが、今ある「教会法」がメインではなく、「なぜそう なったのか」の背景を中心に勉強しています。そうすると、時代を遡っていかなければいけ ません。どこまで遡るかというと、古いもので 325 年のニケア公会議まで遡ります。また、 ローマ市内にはイエスさまの時代やさらにその前からの建造物も残っています。このよう な環境にあって、良くも悪くも「歴史が続いている」ことを実感します。
私は京都に長くいましたので、「京都は平安時代から続いている都で、天皇さんはちょっ と江戸に言ってはる」と半ば冗談で言っていました。でも、キリスト教の歴史はそれより古 いことを真面目にやっているのです。例えるなら、「今の〇〇って制度は、卑弥呼の時代に その原型ができて、大化の改新でちょっと修正されて、鎌倉時代に…江戸時代に…それで第 二バチカン公会議になって」みたいなことを大真面目に勉強します。
もちろん日本も歴史は長いのですが、私はそれを一連の続いているものと理解するので はなく、〇〇時代と区切って捉えていたので、「(良くも悪くも)2000 年以上続くローマ」 ということを実感しています。
(2)考えていること
日本にいるときは「段取り 8 割」ということばが好きでした。こっちに来てそういうことは全く通用しません。このことに腹を立てるのも一つの対応ですが、私は「ここはイタリア だから」と半ば諦め、半ば受け入れるようにしています。最近は、諦めたり腹を立てたりす ることはなく、むしろ楽しんでいますが。
もちろん日本の社会ではこれからも段取り・準備が大切にされるでしょう。あまりにも正 確に綿密に準備することで、想定していたとおりに物事は進みやすくなります。しかし逆に、 あまりにも準備しなさすぎることで、思いもかけない出来事に出会えるというメリットも あることを、こちらに来て感じています。例えば、私は今長期の夏休みを過ごしています。 昔だったら、「〇〇をして、××に行って…」と予定をしっかり立てていたでしょう。でも、今は、基本的に直前まで何もしません。友達のイタリア人が色んなことに巻き込んでくれて、 それによって自分ではなかなかしなかったようなことに取り組めたり、友達の輪が広がっ たりします。自分で予定を立てて行動していたら、このような新しい出会いには巡り会えな かったでしょう。大げさに言うと、私は少なくともここでは、「前もって〇〇しないといけ ない」という自分の性格を変えています。でも、そのおかげで新しい気づきをもらえていま す。自分を変えていくことで、新しい何かが見えてくるのだと思います。