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京都カトリック青年センター > じょばに > 第174号 3. 信仰って…

2022/7/17

第174号 3. 信仰って…

信仰って…

ガブリエルくんに聞いてみました。

皆さんは信仰とは何かご存知ですか?辞書では『神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること又は、神・仏など、ある神聖なものをまたはあるものを絶対視して信じたっとぶこと。そのかたく信ずる心。』と書いてあります。また,皆さんが聞いたことがあるであろうかの有名なブルーズ・パスカルはこんな言葉を残しています。「神を感じるのは心であって、理性ではない。信仰とはこのようなものなのである。」と。

信仰は必ずしもいいものとは限りません。
まずは良い例からいきましょう。信仰をする事で,うつ病が軽減されたりまた完治したりした話はよく聞きます。また依存症と闘う人々は,主治医から教会を主体に行われたりする断酒会などへの参加等々を進められます。
しかし、残念なことに世の中綺麗なものだけではありません。光には影があるように,コインには裏表があるように,良いことには悪いことが存在します。
中世に西欧カトリック諸国が,聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを表向きの目的とした中東地域の領土の剥奪や香辛料(ハーブ等),貿易行路を獲得するための進軍であった十自軍。アメリカで起きた3000人近くの犠牲者を出した旅客機のハイジャックテロであるアメリカ同時多発テロ別名9・11も盲目的な信仰心によって起きました。
日本で起きた身近なものは, 麻原彰晃を教祖とするかつて存在していた日本の新宗教団体であるオウム真理教が起こした『オウム三大事件』の1つである地下鉄サリン事件。(正式名称地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件)も信仰心につこ込んだ悲しい事件です。
大きな事件ばかりを取り上げましたがこのように信仰は必ず良いものとは言えません。
しかし良い面もあります。ただ、度が過ぎた信仰心は恋と同じく人の目を眩ませ現実を見えなくしてしまいます。そしてそれが大きな過ちを起こさせるのかもしれません。
私自身カトリック教徒ですが,最初の方で紹介した辞書に書いてある通りに神を,キリストを,絶対的に信仰していません。しかし、神を信じていないからと言って、祈らなかったり教会に行かなかったりはしません。
何故かと言われると、教会には友人や家族がいるからというのもありますが、大きな理由は人間には信じるもの,希望を捨てずに前を向いて歩かさせてくれるようなものが必要だと思っているからです。

 最初の質問に戻りますが、信仰とは何でしょうか?人が求めた時に手を差し伸べてくれるでしょうか?また,人を惑わすものでしょうか?皆さんはどう思いますか?

(長浜教会 菊川ガブリエル)

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