2022/5/1
みなさん、お久しぶりです。運営委員のもときです!
今月はオンラインジョバニの更新があります。
173号一発目の今週はランディ神父様からお言葉ををいただきました。
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「主の神秘:シノダリテイー(シノドス性)における青年およびシノドス」
青少年は十三歳頃から世の中のことに思いを巡らせ、色々と冒険したくなるものです。自分で様々な決断を下す習慣を身につけ始めるのもこの時期です。私は、フィリピンの小さな田舎の町で少年時代を過ごしましたが、その頃の事は鮮明に覚えています。近所に住む同年代の少年達は皆、学校の放課後に一緒に遊んだり、どこかへ出掛けたり、楽しい時間を過ごすことができました。彼らはまた、教会へ行くこともできました。しかし、私には彼らのような時間的余裕がありませんでした。学校の放課後、家に帰り、母が切り盛りしていた小さな食堂の手伝いをし、空いた時間はひたすら勉強をしました。
私はカトリックの洗礼を受けていましたが、少年の頃は熱心な信徒ではありませんでした。クリスマスと復活祭の期間中にのみ私は信仰生活を送っていたと言えます。では、どのような経緯で私は司祭になったのでしょうか? 実際に、私は少年時代、司祭になろうという想いは全然持っていませんでした。結婚をして自分の家族を持てたらなんと幸せなことか、と思っていました。しかし、私が計画していた道は主が選んで下さった道ではなかったのです。私の想いは主の想いではなかったのです。主のはたらきは多様で神秘に溢れていることに気付かされます。
私が自らの召命に目覚めるきっかけを作ってくれたのは、周りにいる人々の影響が大きかったと言わざるを得ません。まず、父親の存在は大きなものでした。父は寝たきりの生活をしていましたが、毎日祈っていました。一日たりともお祈りを欠かすことがありませんでした。不自由の身であったにも拘らず、父は困っている人達がいれば助けの手を差し伸べました。私はそれを見て育ち、大きな感銘を受けました。さらに、高校時代の一番の親友が私に強い影響を与えました。彼はミサの侍者で多くの司祭と面識がありました。また、彼は我が家をよく訪問し、一晩、二晩と泊まっていき、教会やミサの話を色々としてくれました。友人は神学校への入学を志すようになり、実際に神学校を受験しましたが、残念なことに合格しませんでした。
私は高校を卒業後、大学へ進学し、教師になるべく勉強をはじめました。私が教師になる事は、母がいつも希望していた事だったのです。一方で、親友は神学校の不合格通知を受け取った一年後も新たな目標が見つけられず、どこの学校にも在籍していなかったため、私は彼に自分の大学で同じ講義を受講するように薦めました。親友は私の助言を快く受け入れてくれました。その後また一年が経過し、親友は再度、神学校受験にチャレンジすることを決め、私にも一緒に神学校受験をしようと誘ってくれました。私は軽い気持ちでその誘いに応じました。
結論から言うと、親友が私に薦めてくれた神学校の受験は私の人生を大きく変えるものとなりました。私は神学校受験に合格し、友人は再び不合格になりました。それにもめげず、友人は他の神学校を探し出し、やがて彼はフィリピン宣教会に辿り着き、フィリピン宣教会の神学校試験にパスをしました。私にも同宣教会の受験を彼は薦めてくれましたので、私はそれを受けました。主の恵みのもと、私は無事に合格することができました。そして、これを契機に、私は教区神学校への進学をしないで宣教師になることを決意しました。かたや友人は、数年後にはフィリピン宣教会の神学校を退学し、当初私が志していた教師職につくべく大学に戻りました。
シノドス性のシノドスをフランチェスコ教皇は提唱されますが、これはすべての人々に日々の生活の中で宣教師の役目を果たそうという薦めでもあります。主の教えを真剣に実践し生きようとするカトリックの若い人たちは、周囲にいる人々(家族、友人、同級生、その他)に信仰に基づいた生き方の良いお手本を示さなければなりません。これにより、私の父がそうであったように、静かな生きざまで周りの人々を主に導くことも可能になってきます。
シノドスはまさに全世界の青少年に対し、友愛をもって主と一緒に歩もうという呼びかけでもあります。誰一人として取り残してはなりません。また、自らの信仰上の体験を積極的に友人や家族と共に分かち合いましょう。教会へも皆を誘ってあげましょう。もしかすると、誘いを受けた者の中にはそれがきっかけで主の愛を自覚し、私のように将来司祭になる人が含まれているかもしれません。主の愛と恵みのもと、希望を胸に膨らませ、一歩一歩、一緒に未来へ進みましょう。