2021/5/2
第169号一週目の担当るちあです!
今週は、青年センターの担当司祭である、小立花神父様とランディ神父様からのお言葉です。
「自由」
今年から、また、京都カトリックセンター担当司祭になりました。小立花神父です。この特別な2021年の復活祭を迎えて、感じていることを書きます。
新型コロナウイルス感染症予防のために人前ではマスクをすることを強いられている。楽しい外出も制限され、三密を避けるために集会もできない。世の中、不自由なことだらけで気が滅入ってくる。「おうち時間」なんていう言葉に踊らされて、自宅で何かを始めても、家族や一人では変化もなく面白くなくなってくる。趣味に没頭したところで長続きするわけではない。だから外に出かけて好きなことをしよう!なんていう連中を批判しながら、自分は自粛・自粛・自粛。余計に腹が立ってくる。皆さんは、どのように過ごされていますか?
不自由な生活をしていると闇が心を支配し、心は自由なんだという事を忘れてしまいます。それでも私の心は一生懸命、自分が自分でいるために心の自由を私に提供しています。怒り、苦悩、悲しみ、喜び、嬉しさ、快適さ…、何でもあり。心は自由に私の感情を作って、私が私であることを教えてくれています。自分を客観視できるようになってくると、私は本当によくやっているよねと自己肯定できるようになってきます。もちろん、自己批判、自己否定も可能です。心は自由だから。どちらを選ぶのかはあなた次第。心は自由であり、私に従順だから。
私は皆さんに、自分の心を大切に育ててあげて欲しいと希望します。神様からの大事なプレゼントだから。新型コロナウイルス予防のためにと体のケアばかりが優先されている今だからこそ、心のケアも必要なのではないでしょうか。人間の心と体は一つだから、一方だけというわけにもいきません。互いに影響し合っています。両方のケアをして、自分は私として立っていられるように思います。一人で養い育てるのは非常に危険です。いつも、神様に相談しながら(これを祈りというのでしょうか?)、親しい本当の友人に愚痴を聞いてもらいながら(これを分かち合いというのでしょうか?)私たちは歩み続けます。
私たちの心は自由です。思いっきり泣いて、笑って、怒って、好きになって、嫌いになって良いのです。そこに、復活のイエスが共にいてくださったら、なおさら良いです。
(小立花 忠)
「イエスの復活は全ての民の希望」
皆さん御復活おめでとう御座います。
御復活は私たちの信仰の中心と言われています。復活がなければ、私たちの信仰の意味がなくなります。私たちはクリスチャンとして、キリストが死者の中から 復活されたことをおおやけに宣言します。私たちも、又、死者の中から復活して永遠の命を生きるものとなるのです。
聖書によると、墓から石が取りのけてあるのを見て、マグダラのマリアはイエスのご遺体が何者かによって盗まれたと思いました。ペトロはイエスの頭を包んでいた布が離れたところに丸めてあるのを見ました。エマオへ向かっていた二人の弟子のように、復活された主に実際に出会った と 言うものもいました。天使たちが現れ、イエスは生きておられると告げたと言うものもいました。そのようにイエスの復活についての 情報が錯綜する中で、人が何と言おうとも、イエスの手に釘の跡を見、自分の指を釘跡に入れてみなければ、イエスの復活を決して信じないと言う弟子もいました。弟子たちはイエスが死者の中から復活することに なっている と 聖書に書いてあることをまだよく理解していなかったのです。
イエスの復活を証明することは確かに難しいことです。福音史家たちは、イエスの復活については、その史的根拠を提供することよりも、むしろ、人々の中にあり人々の心を大きく動かしている存在として復活されたイエスを描いています。復活されたイエスによって多くの人はキリストを信じる者、クリスチャンになりました。教会の始まりです。復活を信じることには、人の生きかたを根底から変えてしまう力があります。イエスの復活は希望をもたらしました。それはすべてを変えるものでした。例えば、マリア・マグダレンは、多分、イエスに最後の別れを言いたかったのでしょう。墓へ行きますが、そこで、復活された主に出会うことになります。
エマオへ向かっていた二人の弟子は、イエスが亡くなってしまったので、イエスによってイスラエルが解放され、イエスがイスラエルの王という栄光の座につかれる望みを失い、大変落ち込んでいました。イエスは希望を失って途方に暮れていた 彼らの心に再び火をつけられます。そして、彼らに、救い主が苦しみを受けた後にくるより大きな栄光、イスラエルの王になる事などとは比べ物にならない栄光について話されます。復活によってイエスは全人類の王となられるのです。
エマオへ行く二人の弟子の心に燃え上がったと同じ炎が、今日でもコロナパンデミックあったとしても多くの人の心に燃え上がり、多くの人々を神の栄光のために働くことへと駆り立てます。その一方で、多くの人の心の火は消えたままで、再び 火がつけられるのを待っています。すべての人は イエスが復活された事を 知らなければ なりません。なかでも、コロナで希望を失っている人々と、この世の魅力に取りつかれそれから離れられなくなっている人は、特にイエスの復活のことを 知らなければなりません。
イエスの復活の力によって、私たちが自分の生き方をあらためることができますように。そして、私たちそれぞれが、その生き方を通して、イエスが復活され生きておられることを人々に示す者と なりますように。復活を信じることによって私たちがより良いクリスチャンとして、人々に希望を 運ぶものとなりますように。それらのことを願って祈りましょう。
(ランディ・グマニト)